死の感覚

 小学校高学年から中学生くらいにかけて、死の感覚ってよく感じました。小学生のときは「ずっと先にあるはずの死に対する恐怖」が主でしたね〜。結局何をどうしても、人は必ず死ぬんだって思うと、たまに頭がぼぅっとなったんですよね。特に人ごみで。そして恐怖だったからこそどんなものか興味があって、図工でカッターなど使うと「これで死ぬこともできるんだよな」と思ったりしてました。・・・今思うとややアブナイですね(笑)。
 中学生になると「死がずっと先にあるもの」という感覚は「常に隣にあるもの」だという意識に変わりました。いわば『天国ハ御隣』。この頃、死が出てくるノンフィクション物をものすごく読んだんですけど、人って生命力が強いんだなぁと思ったり、案外あっけなく死んでしまうこともあるんだなと思ったり。そしてそれは自分も身近な人たちもそうなんだと思いました。
 正確にはそれによって「死は隣にある」というより、生きていることも死んでいることもあまり変わらないと思ったんですけど。例えば生きていても自分で自分のことを否定していたらそれって生きているといえるの?と思ったし、逆に死んでもなお人の意識に心に歴史に名を残して存在している人もいるし、この世に存在していることだけが生じゃないし、存在していないからといって無ではないって思ったんですよね。
 高校ではなかなか学校に馴染めなくて日々精一杯みたいな生活をしていたから、そんなこと考える余裕もなく、そんな感覚を味わうこともなくなってしまったんですけど。大学ではたまにそんなことも思ったけれど、会社に入ってからはやっぱり日々精一杯だったからほとんど考えることはなかったな・・・。でも今も昔も変わらず、生と死は隣り合わせに存在しているんですよね。昨日「Enjoy」を読んでそんなことを思ったのでした。
 まだ更新3回目ですが、松本くんの文章からは本や映画が好きそうって印象を受けます。起承転結というと大げさだけど、パッと思いつくまま書いたって感じじゃなく、話のもっていき方がきちんと考えられている気がするの。写真も真っ直ぐというか誠実な感じがします。昨日ので、松本くんが意図する「何か」を感じ取れたのかはわかりませんが、大切なことを思い出させていただきました。パケ代かかるコーナーですが(笑)、これからの更新も楽しみにしております。
 そうえいば、Iちゃんに「昨日トキオ見た?」と聞かれましたが、妹が『あいのり』を見ているので見ませんでした。そうしたら30分押しだったそうですね(笑)。あの枠のドラマはたまに見ているんですが(ともさかりえちゃんが主演だった『ロッカーのハナコさん』がお気に入り)、いつも金曜日の再放送で見ているので、今回もそれ狙いです。録画も楽ですしね。なので金曜日を楽しみに待つことにします。
 ちなみにK.Iちゃんはコンサート以来、嵐にハマりつつあるようで・・・。『Dの嵐!』も毎週見ているし、この前のMステも見てたし、『トキオ』まで見ちゃうとは。そして何より嵐をTVで見た翌日に必ず、「見た?」と社内メールをくれるのです(フロアが違うので)。もちろん嬉しいのだけど、去年の自分を思うとちょっとどきどきしてしまいます・・・。