生きてるものとはいうけれど

 仕事で報告書を読む機会が多いのですが、年々不可解なことが増えていく・・・。小学校で習うような「原稿用紙の使い方」ができていないとか、いいたいことがよくわからないとか、推敲してるの?っていうくらい変換ミスが多いとか。てにをはが変だったり、いらないところで謙譲語が出てきたり。
 自分の文章もうまいとはいえないので(いわゆる「正しい日本語」の文章を書いているとは思えない)、人のことをいってる場合ではないですが、それにしてもなぁと思うことがままあります。今日も2年目の子が書いた報告書を見たのですが*1、ツッコミどころ満載で。容赦ないツッコミに傷ついたかもしれない・・・。
 わかりにくい原因は一文が長いことだと思ったんですが。短ければそれなりにわかるのに、必要ない接続詞でつながっていくものだから、初めと終わりでいっていることが違ったりするんですね。ぶつぶつでもいいから、主語+述語っていうシンプルな文なら、それだけでグンとわかりやすくなるのに。
 一文が長いのは英語教育の影響だと何かの本に書いてありました。確かに学生時代のオフライン日記を読むと、英文法の影響がどれほど大きいかわかりますねぇ(英語は全くできなかったのに何故)。これは大学の授業で聞いたことですが、今の日本教育は英語教育に比べて古文や漢文の授業が軽視されがちなのだそうです。特に漢文をやらないので、文章がうまく書けなくなっているって。
 大学で漢文の勉強もしましたが、それはわかるようなわからないようなでした。でも文章の構造を意識するようにはなるのかもしれないですね。漢文の先生はとても厳しい人で、いつも白文を読んでいたのですが。いくら漢字の意味を調べても、文章構造がわからないと全く意味がわからないんですよ(笑)。英語と同じように。
 よく、友だちや同期に「書くことに並々ならぬ情熱を持ってるよね」といわれるけど、それは表現するということに、コンプレックスがあるからだと思います。画だったり音楽だったり、特別表現する才能がないから、書くことにこだわってしまう。小説などを別にしたら、書くことは紙と鉛筆があればできるから。
 でも文章にもコンプレックスはあります。いいたいことが正しく表現できたことなんて一度もないし。簡潔にまとめて書くのは苦手だし(だからこの日記も常に長文)。もっと早く、簡潔に、わかりやすい文章を書けたらいいのになぁってよく思います。
 課長に報告書がうまく書けるようになる研修を考えろとたびたびいわれるのですが、何をどうしろとー!?と思っていつも誤魔化してます(だって誰が出題・添削するの?・苦笑)。来年度は仕事の90%くらいは教育になりそうなので、いよいよ考えなければいけないのだろうか・・・。
 それにしても、古文や漢文のことを考えていたら、懐かしくなっちゃいました。もう古語はほとんど覚えていないけれど、古典作品でも読んでみようかなぁ。

*1:1年目じゃないから見せなくていいんだけど、「見てください」っていうので見た