選んだ理由

 オケの練習に行ってきました。先週割れを修理して全調整をしてもらったのですが、土日に吹いたらどうもDとDesが出にくい。DesはともかくDとEはもっとも吹きやすい音なのでおかしいなと思っていたら、先輩に「楽器変?」と聞かれました。事情を話して吹いてもらったら、「何かこもってるね〜。もう一度行った方がいいよ」といわれたので、また楽器屋さんへ行く羽目になりました。ツバサくんは本当に手間のかかる子だよ(涙)。
 夏から最近までオーボエが好きなんだろうか、楽器で表現したいことがあるんだろうか、惰性でやっているんじゃないかと心の奥でずっと悩んでました。学生時代のような情熱は今ないし、正直苦痛も伴うし、楽器を持つと私なんて・・・という意識が強くなってしまい、音が出せないこともしばしばあったのです。そんな状態で「やりたいこと」なんていえるのだろうか?って。
 再び楽器を始めて1年半経ったけれど、練習に行くたび、先輩にアドバイスをもらうたび、いろいろなことを思い出します。これまで思い出してきたことは技術的なことが多かったけれど、最近思い出すのは精神的なことが多いです。そして思い出すにつれて、気持ちが少しだけど前向きになっていくのがわかるようになりました。
 小学生の頃はピアノを習っていましたが、練習もレッスンに通うのもあまり好きではなかったし*1、中学で吹奏楽部に入ったのも活動的な文化部がそれしかなかったからでした。でも高校では自分で吹奏楽部を選んだんですよね。帰宅部でもよかったのに、フルートにもなれなかったのに、他の楽器を選んでまでもそこを選んだ。
 演奏する側にいようと思ったのは、間違いなく私だったんですよね。大学でフルートを選ぶこともできたのに、オーボエを続けようと思ったのも私。再開するとき疑いもせず「オーケストラでオーボエ」を選んだのも私。理由なんてなくても、好きだとか楽しいとはっきりいえなくても、無意識のうちに今の状況は私が選択してきたことなんだと気づきました。
 高校時代楽器を続けようと思ったのは、「代わりがいるとしても、自分が必要とされているから」でした。特にオーボエはひとりしかいなかったから、オーボエの譜面を吹いているのは私だけで、必要とされているとはっきり思えました。もっと上手い子がいたらそっちの方がいいといわれるにしても、そこには私しかいなかったので。オケは管楽器の場合その譜面を吹くのはひとりだけだから、今の私も唯一の私です。それなのに怖くて音が出せないのでは、何のためにいるのかわからないし、続けようと思った理由と逆のことをしているってことですよね。
 そんなことを思い出したら、前より積極的に音が出せるようになりました。まだ怖いけれど、学生時代先生にいわれた「間違えても音程が少々悪くてもいい、管楽器は全員ソロだから音を出さないことが犯罪だ」とか「技術は自分が思っているほど悪くない。気持ちが引いているせいだ」を信じて奮い立たせている感じ。でも前回先輩に「だいぶよくなったね」といわれたので、少し成果が現れているのかもしれない(と思いたい・笑)。
 でもまだまだ未熟者〜。16日から22日までお休みをもらうので*2、もう一度きっちり譜面をさらって、怖がらずに音を出さないといけないなと思います。今年の練習はあと25日の1回なので頑張ろう〜。先輩が来られないからひとりだしね・・・←憂鬱

*1:今思うとちゃんとやっておけばよかったと思う

*2:今年から一日の勤務時間が長くなったため、5連休が2回取れるようになったのです。正直迷惑