先輩ありがとう
- 作者: 新井満,いわさきちひろ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/08/28
- メディア: 単行本
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17日のエントリー後も、私の生活は変わっていません。毎日起きて、会社へ行って仕事して、日記を書いて寝る。たくさん笑ったし、冗談もいったし、怒ったりもしました。ごはんも食べてるし、ちゃんと寝ています。TVも見てるし(レギュラー以外は忘れたりしてるけど)、音楽も聴くし、金曜日は舞台を観に行きました。楽器の練習もしているし、買い物をしたりも。これまでとちっとも変わらない。でもふとしたときに思い出し、自然に涙が出てきます。
『下弦の月』を聴いて私も思うんですよ。この悲しみも、いつかは薄れていくのかなって。一度も泣かないで一日を終える日が来るのかなって。彼女を忘れるとかじゃなくて、写真をアルバムにしまうみたいに、きちんと心の中に納まって、彼女と過ごした日々を思い出として楽しく振り返ることができるのかなって。でも、それはそれで怖いなって。
それが当たり前なのだろうし、そうすることが正しいんだというのはわかってます。でも自信がないなぁ。自分でもおかしいと思うんだけど、失うということを恐れるあまり、失うことに鈍感というか、うまく実感することができないんですよね。彼女が異動するときも同期みんなが動揺する中、私は動揺しなかったんです。何でそんなに淡々としてるの?とか聞かれて、うまく答えられなかったんだけど。
思えばずーっとそうでした。失恋もうまくできないんですよね。・・・フラれたことはわかりますよ(笑)。そんなにバカじゃないですけど、なんていうか、実感できないんです。フラれたからといって「はい、そーですか」って切り替えできるわけでもないし、嫌いになるわけでもないし、その気持ちを上書きできるのかどうかがわからないんです。別の人を好きになるということが理解できない。・・・なんかイタイ子みたいですね、私(苦笑)。
各学校を卒業するときも、友だちが仕事で地元を離れることになったときも、あまり悲しいとは思いませんでした。一緒にいた日々も、友だちであるということも、過ごす時間数や離れてる距離には左右されないと思っていたから。今でも友だちとしょっちゅう会うわけじゃないけど、みんなを同じくらい大切に思ってます。数字で測れる遠さなんて、どうってことないと思っていた。怖いのは数字で測れない遠さだって。
でも数字で測れない遠さもどうってことないのかもと思いました。今でも彼女の死を信じられない思いで悲しいと思っているけれど、同時に生きていても死んでいても同じだと思う気持ちもあります。彼女が生きていたということと、友だちであるということは、亡くなったからといって消えてしまうわけではなく、ずっと私の中にある揺るぎない事実だから。彼女はみんなのすぐ傍にいる気がするから。生きて会うことはなくても、生きて会える友だちと変わらないし、測ることのできない遠さも同じだなって。
同期もいっていたけど、死とか生とか宗教とか、そういうことをよく考えるようになりました。前から考えることは多かったけど、よりリアルに考えます。ニュースやドキュメンタリーを見ることも増えました。日曜かな? NHKで聖地エルサレムのドキュメンタリーを見たのですが、不思議ですよね、宗教の対立って。救われたい・赦されたいと思って祈る気持ちがどうして争いに結びつくのかなって、コレという信仰心を持たない私は思ってしまうのですが。
そんなことを考えても答えは出ないし、ニュースやドキュメンタリーを見たからといって何ができるわけでもないのですが、ただ目だけはつぶっちゃいけないと思って。考えたり見るほどわからなくなったりするけれど、そんなときや眠れないときは鶴を折るようにしています。1日に2羽とか3羽ですけどね。ニュースで聞く不慮の死を遂げた方々や、世界の平和のために。
・・・そういえばすっかり忘れていたけど、来月の6日に試験を受けるのでした。先月末にテキストが送られてきたのですが、まだ開いてもいない〜。モノを覚えるのに人の3倍くらいかかるのに・・・明日から試験勉強もします・・・。