父親たちの星条旗

 ネタバレもちょっとありますし、私の感情ダダ漏れだし、推敲とかあまりしてなくて支離滅裂なので。感想は隠しておきます。これから行かれる方はご自身のご判断でクリックなさってくださいませ。


 久しぶりに見る戦争映画ということで、かなり緊張して行きました。精神的に重いのにはまだ耐える自信があるけれど、夢にうなされるような残忍な映像には耐える自信がない。クリント監督の映画を見るのは初めてだったし、ネットでの感想というものも、「日記をいつも見ていて、この方なら大丈夫」というものしか読まないので、予測もつかないまま行ったんですが。
 始まった直後から終わりまで、泣いて泣いて泣き通しで。途中で目を反らしたくなったりもしたけど。最初から最後まで全部見ることができました。単に涙を拭くとか、目を反らすとか、そういう余裕がなかっただけなのかもしれないけど、でも全部見てよかった。目を反らさなくてよかった。
 この単語を使うことで誤解を招くのは嫌なんですが。見終わって、とても静かな映画だと思いました。努めて、静かな。そしてクリント監督もまた、静かな方なのだろうと思いました。1/3くらいは戦闘シーンですし、グロテスクな映像も多々ありましたし、日常使う「静か」という言葉からはかけ離れてるので、決して適切な言葉ではないと思いますが、私の乏しいボキャブラリーの中から選ぶなら、それは「静か」でした。
 戦争は金と時間と命の無駄遣いじゃないかとか、動物の中で唯一といえるような、人間が持つ理性や理論的思考を自ら放棄する行為じゃないかとか、何を持って正当化しようとも絶対に容認できないものではないかとか。そういう感想はもちろん持ったのですが、クリント監督がこの映画で描きたかったことは何だろう?と思って。それは戦争の残酷さだけじゃないって思って。私がたどり着いたのは「フィルターのない真実なんてない」ということでした。
 宣伝で「クリント・イーストウッドが描く硫黄島の真実」みたいなナレーションが流れるけど、それは半分本当で半分嘘だと思いました。『父親たちの星条旗』というのは映画であり、作品であり、クリント監督やその他制作にかかわった人というフィルターを通して描かれ、組み立てられた真実であって、まっさらな真実ではない。言葉の通りクリント監督の描く硫黄島の真実ではあるけれど、描かれているものがすべてでもまっさらでもない。
 究極のところ、フィルターのない真実なんて存在しないんだと、そう思いました。硫黄島にある擂鉢山。そこのてっぺんに星条旗を立てた。実際あったことを切り取ったあの1枚の写真でさえ、それは真実を映すものではなかった。初めに立てた旗とは違うとか。「英雄」として語られた人物が誤っていたとか。そんなことは写真からはわからない。ただ現実を切り取ったはずものなのに、見えるのは100%の真実ではない。
 その写真を利用しようと渦巻いていた欲望・思惑も。それらにねじ伏せられた「英雄」たちの感情も。そしてその写真によりコントロールされた多くの人々も。何よりもそこにたどり着くまでの死闘も。そこには映っていないものの方が多すぎる。それはやっぱり写真という、写真を撮った人という、フィルターがあるからじゃないでしょうか。そしてそれを世に流す人、見る人というフィルター。いくつものフィルターがある。
 クリント監督が描きたかったこと。正解はわかりません。でも。より真実に近いものを描こうとして、でも真実なんて描けないと思って、アメリカの立場でもなく、日本の立場でもなく、ただ冷静に見つめて、映像にしていったんじゃないかと、そんなふうに思いました。だから「静か」だという言葉を使ったんですけど。それが私の感じたことです。
 戦争の残酷さのみを表現するのであれば、回りくどいことなしに、もっと単刀直入な話にできたはずで。今の時代、残酷な映像はかなりギリギリまでできる気がする(もちろん十分あったし。あれ以上やってR指定とかなったら元も子もないんだろうけど)。でもそこを押さえても描きたかったことがあるんじゃないかって思う。
 ただ映像を提供するだけではダメなんだって。心に深く刻まれて、見た人に頭を使って自分で考えてもらわなきゃって。そんな気持ちがあるような気がします。ちょっとわかりにくくなっても「息子」が出てくる理由とか。「英雄」たちによる国債販売促進キャンペーンのツアーとか。散りばめられたちょっとした、でもものすごくドキっとするようなエピソード(ケーキにかけられたストロベリーソースとか雷雨とか)とか。
 初めから泣き通しだったと書きましたが、本当に序盤の序盤から泣いてまして。それは悲しいとか、苦しいとか、むごいとか、やるせないとか、そういう感情が伴って流れる涙ではありませんでした。正直見ている間は感情なんてなかった。それなのにコップを傾けたように、止め処もなく涙は溢れてきました。
 一番近い表現は、魂の涙だと思います。私の思考や感情とは別のところで、私が泣いていた。冒頭でアメリカの兵士が繰り返すんですよ。「敵は」って。「敵はどこだ?」って。でも敵なんてどこにもいないわけですよ。ただ生まれ、育った国が違うだけで、同じ人間なんです。それなのに殺し合わなくちゃいけない。捕虜を残酷に殺すほど正常ではいられない。見境なくなって、同じアメリカ兵まで殺してしまう。
 でも私もまた、同じ人間なんです。戦争を起こしてきた人、戦地で戦ってきた人、逃げ惑った人、コントロールされた人・・・。何も違わない。同じ人間として生まれてる。同じ血が流れている。そして今でも争いはなくなっていない。私たちは変わってなんていない。この時の人間と同じだって。『百夜の女騎士』の感想でも似たことを書きましたけれど、そう思って。そんな潜在意識が流させた涙なのかな、なんて思いました。
 硫黄島の予告も見まして。確実に星条旗より精神的に痛いだろうなって思いましたが(それは私が日本人だからかもしれません)、とてもいい予告だと思いました。二宮さんも想像を遥か上回るいい仕事をしてきたんだなーってわかった。「そんなに遠くにいるの?」って、初めて思うかもしれないですね。
 硫黄島も目を反らさず見たいと思います。でもIちゃんが明日のワールドプレミアに行くので、残忍なシーンがどれくらいあるかだけはネタバレしてもらおうと思ってます(やっぱり小心者なんで)。