なんとか

 今までになく長い低迷期だったんですが、なんとか復活できそうって感じになってきました。このままの気分で演奏会当日になっちゃったらどうしようと思っていたので、ちょっと安心。あと1週間で普通まで上っていきたいと思います。とりあえず、二ノと潤くんのドラマは演奏会後に見ることにするよ。
 低迷期は何事においても「面倒くさい」と思ってしまいます。仕事も人にお願いしたり教えたりするのが面倒で、自分でやっちゃえ!って思ったり、かと思えばズルズルと先延ばししてしまったり。対人関係も、TVや本なども、わりと肯定的に見る方だと思うんですが(人にもそういわれることが多いし)、否定的に見てしまうことが多くなります。
 ここ1ヶ月くらいでしょうか。そんなふうに面倒くさかったり、否定的な見方しかできなかったりして、あげくそんな自分に疲れちゃって、悶々と這いつくばってました。よくわからないけど、人間って面倒くさい(←まだ抜け切れてない・苦笑)生き物ですねぇ、ホントに。
 友だちが亡くなったとき、優しい人間になれるかと思いました。冷静に考えて、そんな都合のいいことあるわけないんだけど、でも友だちを思ったら、友だちが隣にいると思ったら、いろんなことを今まで以上に肯定的に見られるような、すべてを受け入れられるような、そんな気がしました。でも逆だった。
 今まで見ないフリできたことが許せなくなったり、気にしないでいられたことが気になってしかたなかったり、苦手だと思うものを否定しようとしたり。今まで鈍感であろうとして、その結果何も感じなかったものが、確かな重さを持って心に乗っかってくるみたいでした。それは私の心が狭くなったからなんでしょうか。
 ときどき考えます。友だちがここから去らなくてはならなかった理由。私がここに留まっている意味。死というものが何か理由を持って訪れるとは思わないけど、それでもふとしたときに、その疑問は静かに沸いてきます。どうして友だちだったのか。私や周りの人と何が違ったのか。平等って何なのか。
 常識的に考えて、信じられないと思う人の行動。本心でいっているのではないということが、ありありとわかるような言葉。お世辞にもいいとはいえないようなもの。それらの理由とか意味とか価値とかをふと考えてしまう。でも私自身が人に誇れるような人間かというとそうでもなく、同時にどんどん惨めな気持ちにもなってきます。
 許せないことや気になることや否定するものが多くなると、自然と自分に帰ってきます。『鉄コン筋クリート』でシロがいっていたことは本当。人のことを悪くいうと、心がカサカサしてきます。決して理不尽な理由で許せないとか気になるとか否定しているわけではないけど、そうやって受け入れられないものが多くなると、自分がとても醜く見えて、なんて黒いんだろうと思う。鉄コンを2度目に見たとき泣けてきたのは、恐らくそういう理由なのでしょう。
 ずっと同じではいられない。まして今の私は望んで変わっているのだし、ある程度仕方のないことかもしれないけど、早くいいバランスを見つけたい。肯定的に受け止めることが鈍感になってしまわないように、敏感になることが受け入れられないものを作り過ぎないように。そしてもう少し優しい人間になりたいと願います。
 帰ってきて、ハチクロのDVDを見ながらマニキュアを塗りなおしてました。「恋をした それだけなのに 世界はまぶしい」というキャッチコピー。もうそんなことは忘れてしまったけれど、でも、恋を失っても、ときどき世界はまぶしく見えます。そんな一瞬を大切にできたらいいなぁと思います。
 明日明後日も練習です。頑張る。