一応復活。

 昨日は練習後に忘年会がありまして、二次会までいたらあっという間に0時近くなり、帰宅したのは2時半でした・・・。一次会が18時からだったので、6時間近く飲んでたってことですね。みんなタフだなー(お酒は2杯しか飲んでないので私はへっちゃらです)。それにしても久々に乗りました、私的終電*1。本当はもっと早く着く予定だったのですが、人身事故が重なって遅れており、30分ほど遅れてしまいました。年の瀬っていろんな意味でせつないねぇ。
 ぼちぼちニッキも書けるようになってきました。友だちにメールもらったり、「またあーいうエントリーして!」といわれたりしたのですが、ホント元気にやってます。ただ、ニッキを書くとどうしても悶々と考え込んで、自分を追い込む方に作用することが多いので。これからは今までのような頻度では更新しないかもしれませんが、続けていきます。今後もよろしくお願いします・・・m(__)m
 いつか忘れてしまいましたが、何度か、友だちが亡くなってから心が狭くなったとか許せないことが多くなったというニッキを書いたと思います。今まで見ないフリできたことを許せなくなったり、気にしないでいられたことが気になってしかたなかったり、苦手なものに拒否反応を示したり。例えば満員電車で押した・押さないで小競り合いしている人を見たこと、皆さんもありますよね。混んだ場所でそんな争いをするなんて無意味だと思うんですが、昔は「いろんな人がいるよなー」で終わってたんです。「そんなことでエネルギー使うなら、別のところで使えばいいのになー」くらい。でも友だちが亡くなってからはそんなふうに流せなくなって、吐きそうなくらい気分が悪くなったりしました。なんでそんなつまんないことで争うんだろうって、目の前がぐるぐるしちゃうんです。
 亡くなった直後はもっと優しくなれると思いました。友だちのことを思ったら、いろんなことを今以上に受け入れられるようになって、人にも自分にも優しくなれるかなって。でも逆だったんですよね。努めて鈍感であるより、葛藤しても自分に正直に生きようと思ったら、今まで鈍感であろうとした結果やり過ごせてきたものが、確かな重さを持って心にのしかかってきた。でもそのものさしは私のものであり、共通のものではありません。自分のものさしに当てはめて、合わないからって気持ち悪くなるなんて、本当に勝手な話です。自分でもよくわかっていたのですが止められず、わかっているからこそ自分でも苦しかった。
 仕事も人には「頑張ってるよ」とか「ホントにいろんなことをやってますよね」とか「大変そう」っていわれるんですが、自分ではそう実感できなくて。確かにいろんなことをやってるし、ときどき時間が足りないと思ったり、頭いっぱいになったりすることはありますが、それは自分のせいだと思っていました。私のキャパが狭いせいだわって。たぶんもっともっと人は出来るんだろうって。それに私よりずっと大変な状況で働いてる友だちがたくさんいるので、余計に自分なんて楽してると思ってしまって。そのくせ、後輩さんとかが今日までの書類を出さなくても帰ってしまうとか、自分の担当でも上司に相談するとその後は投げっぱなしとかいう話を聞いて怒ったりしてるわけです。・・・本当に勝手な話なので、書くのもためらわれるんですが。
 そんなふうに人にも自分にも優しくなれず、1年ちょっと過ごしてきました。でも、特別なきっかけがあったわけじゃないんですが、11月末頃急に疲れてしまいまして。ぷつんと糸が切れたみたいに、突然みんなどうでもよくなってしまいました。ギリギリの崖っぷちでやらなきゃ頑張ってるとはいえないなんて、思う必要ないんじゃん?って。知らないうちに「あんないい子が死んでしまったのだから、自分が生きてるなら100点取らなきゃいけない」と、自分を追い込んでいたんだろうなと思います。あげくに、人もそうじゃなきゃいけないと思ってしまったんでしょうね。そりゃ優しくなるなんてムリな話だし、考え方がキツくも黒くもなるよね。
 昔、ある先生にいわれたことを思いました。高校も大学も受かればいいんだって。受験勉強そのものが大切なわけじゃないし、受かれば何点でもかまわないって。大切なのは、行った先で何をどう学ぶかなんだと。そういえば2年目くらいのとき、課長にもいわれたんですよね。試験は60点で合格なんだから、60点取ればいいんだって。100点取るつもりで、80点取れたら上出来だって。大切なのは、きちんと流れていくことだと。
 今はそれくらいの気持ちで生きればいいのかなーと思っています。自分を犠牲にしても(人に仕事を頼むのが苦手なので、どうしても自分でやっちゃうんですよね・・・)働かなきゃと思ってたんですが、もうちょっと自分の利益を考えてもいいかなって。まだベストなバランスは見つけられてないですけどね。肯定的に受け止めることが鈍感になってしまわないような、敏感になることが受け入れられないものを作り過ぎないような、ちょうどいいバランス。
 ニッキは自分にとって本当に大切なものだし、なくてはならないものですが、やはり本当の意味で自我が目覚めた頃に書き始めたこともあり、自分を追い込む作用が強いようです。この1ヶ月ほど「書かなくてもいい」と思っていたらとても楽でした。逃げなのかもしれないけど、考えて、整理して、書いて、結局は自分のせいなんだという結論にならないのはすごく楽だった。
 これからニッキの存在が、自分を顧みて反省したり、責めたり、グチったり、追い込むようなものではなく、楽しかったことを書き留めておいたり、幸せなことをおすそ分けするようなものになればいいなぁと思います。

*1:中央線の最終は私の地元駅まで来ないので