連休中日

suika_shake2009-05-04

 はるばる千葉マリンスタジアムへ、二度目のプロ野球観戦に行ってきました。ディズニーリゾートへ行くのも遠い私ですが、海浜幕張はさらにその先・・・(嵐の握手会を思い出したりして)。約2時間かかりました。電車に乗って遠出したいと思っていたので、図らずも「電車に乗る」と「野球観戦」と、一粒で二度おいしい思いをしてしまいました。くふ。行きは中央線+京葉線でしたが、帰りは武蔵野線武蔵野線って一駅が長いよね〜。
 前回東京ドームへ見に行ったファイターズ・ホークス戦は惜しくも負けてしまいましたが、 今回は10対7でファイターズの勝利。どちらも大量得点で、最後に2点巻き返されたりしたので、ときどきハラハラしたけれど、とても楽しかったです。稲葉さんのホームランを生で見ることができた*1し、ひちょりさんは手を振っていっぱいサービスしてくれたし(概ね見逃したが)。
 とてもいいお天気だったので、野外球場は気持ちよかったです。普段陽をあびない生活だから、ちょっと眩しくて暑かったけど、日焼け止めと帽子は忘れなかったので、なんとか大丈夫でした。首に巻こうと持って行った手ぬぐいはミチロリンに貸しちゃったけど、今のところ肌もかゆくない*2。それにしても、浜風ってすごいですね〜。決して軽くないのに、球場に入る前はよろよろしちゃった(笑)。スコアボードの上に立っていた鯉のぼりの泳ぎっぷりも必死すぎて、笑いそうになりました。尻尾の方が頭より上がってたよ・・・。
 前に行ったとき、応援団の方々がすごく盛り上がっていて、「あの一体感が超楽しそうだな〜」と思っていたので、外野席に座れたのもよかったです。後ろの席が小さな子だったので、「立ったら見えないな」と思い、 ずーっと座って見ていたけど、応援には力が入りました。さすがに応援歌は全然わからないけど、妹には「(メガホンを叩く)リズムが結構合ってたね」と褒められたよ(笑)(一応、現役で楽器やってますから)。
 ホームということで、ロッテの応援もすごかったです。外野席の人はほとんどみんなユニフォーム着て、攻撃のときは立っていました。応援歌・振り付けなども完璧。途中、塁に2人いて井口*3というチャンスでは、内野でも外野でも一斉に旗を振り出したのには驚きました。正直、KinKiコンの盛り上がりより、勢いと一体感・・・。どんだけ!!(帰り道に観察したのですが、あの旗、かなり頑丈に出来てるのですね)私も負けていられないと思いました(何に?)。
 土曜日がサロンコンサート本番なので、連休は練習で終わりかと思っていましたが、 1日でも休みらしいお出かけができてよかったです。父やミチロリンみたいに頭を使って見ることは出来ないけど、球場で見るのはとても楽しいのでまた行きたいな・・・って、私も変わったもんですね(母が「おねーちゃんがスポーツ観戦するなんてね〜」というくらい、長時間かかるスポーツ観戦が苦手でした。好きなのは水泳と陸上短距離と柔道)。今は妹が昔買ったメガホンを拝借しているけど、今度行ったらマイメガホンを買っちゃおうかな♪
 (5日1:45追記)以下は野球観戦と関係ないので隠します。久々に暗いです。
 実は行こうかどうしようか、迷っていたのです。今更じたばたしても、私レベルでは難しいのだけど。そうなると「いかにして誤魔化すか」ってことになるのですが(オイ)、私の場合はそれプラスメンタル勝負になるので、「出来る限りの努力はした」という自信が必要なのですね。だから今回は断念して、練習しようかなと思っていました。今までの私だったらそうしていたと思います。っていうか、実際にしてました(苦笑)。
 でも折角の連休、1日くらい家族みんなで出かけよう!と思ったのは、一緒にいることが今の私に出来る最大の親孝行かなと、最近殊に思うからです。ここ数日、新聞でもネットでも騒然となりましたが・・・清 志 郎さんの逝去は、母にとっても、私たち姉妹にとっても、ショックな出来事でした。母は清 志 郎さんと同窓生です。昔から母が口ずさむ歌を聴いていましたし、よく音楽を聴いていた頃の妹に「後世に影響を与えたスゴイ人なんだよ(←私はロックに明るくないので、偉大さがいまいちピンとこなかったので)」といわれていたので、忌 野 清 志 郎=ミュージシャンであることは確かなのですが、なんかこう、勝手に近く感じていました。
 まだ58歳、されど58歳。母にとってみれば隣人の死であり、私にとってもまた、母と同じ歳の人の死はショックでした。いつの間にか、そんなに時間が流れていたのだなぁと。私の友人のこともありますし、死期は年齢で決まるものではありませんが、歳を重ねるにつれて近づいていっているということは否めません。人生において、万人が平等とはいえませんが、生まれた者にとって、確実に平等に与えられる死というもの。細かい事をいえばいろいろありますが、仕事も人間関係もオケも、概ね穏やかにうまくいっていたので、いつの間にか心の隅に寄っていたけれど、私は小さいときからいつも、死について考えていたことを思い出しました。2年くらい前は本当に必死になって考えてた。
 親孝行が何なのかというのはよくわからりません。30過ぎてなお、半分親に頼って生きている現状が親不孝だといわれれば、まぁそのとおりですし。でも、それでも一緒にいた方が嬉しそうな顔をしているなとは思います。妹が野球に興味を持ち始めたとき、母が「最近、クラシックはお姉ちゃん、野球はミチロリンと話が合うから、お父さんも嬉しそう」といってました。母も基本的には父についていく方なので、3人で観戦に行くこともあったし、妹が洋裁や小物作りをすれば一緒になってやってます。
 私はあまり家にいないこともあり(会社も遠いし、練習に行ったりするので)、妹ほど両親と一緒にいなかったのですが。最近はなるべく一緒にいるようにしています。休日、父が音楽を聴いていたら1〜2曲一緒に聴いたり、時間がないときは曲名を聞いてみたり。ときどき電車の話もします。母とは共通項がないのだけど、お茶を飲んだり、裁縫をしている横で勉強したり、聞きたいけど聞けないといっているらしい(母の友人談)彼の話をしてあげたり*4。剛さんが『ソメイヨシノ』を書きながら思ったであろうことを、今、私も身に染みています。あの頃はぼんやりだったことも、はっきりとした重みを感じるよ。
 仕事をするようになって親の偉大さがわかりましたが(それまでは形式的っていうか、手のひらで感じる重みがなかったので)、本当の意味でわかるのは、自分が親になったときなのでしょうね。・・・なかなかなりそうもないですが、なったときには近くにはいないってことなので、今のうちに出来ることはしたいなぁと思います。今日は試合に勝ったこともあるけど、父も母も楽しそうでよかったです。家族旅行はもう難しいけど、こういうお出かけはたまにしたいですね。

*1:今江がホームラン打ったときは「また相手方・・・」とヘコみましたが、その後、稲葉さんも打ったのでよかった・・・

*2:陽にかぶれるんですよ・・・

*3:4番

*4:以前書いた、十数年の片想いで散々心配かけたのでちゃんと話してます・・・笑