そしてあたしは貝になりたい

 土曜日、友だちが潮干狩りに行ったからといってアサリをくれました。その日はちょうどちらし寿司を作るといっていたので、「わーい、これでお味噌汁w」と思って早速砂抜き。小さいボウルしかなかったのでぎゅうぎゅうになってしまったけど、何とか全部あけて、塩水を入れました。
 すぐにぷくぷくと空気が上がってきました。そしてちらっと見える足だか手だか口だか。「生きてるんだなぁ」と思ったら、これが数時間後には死んでしまうんだと思ったら、ちょっと胸が痛くなって、部屋へ戻りました。それで思い出しました。昔、貝になりたいと思っていたことを。
 高校に入ってすぐくらいの日記に「貝になりたい」と書いた記憶があります。貝じゃなくても、外とを隔てるものがあれば何でもよかった。卵でも栗でもウニでも。ただ中にじっと座って、ぼんやりしていたいと思っていた。誰とも話さず、ただ授業を受けて、そのまま何事もなかったように卒業できればいいのにって。
 一昨日の晩ごはんが思い出せなくても、昔のことはよく思い出します。頑張らなくても浮かんでくる。校舎の向こうに見えた5月の青空とか、吹奏楽コンクールの練習の合間に音楽室から見下ろしたプールのきらめきとか。頭はいいくせに当たり前のことが出来ない高校でひとり掃除をしたこととか、合奏中に指揮者の向こう側に見えた赤とんぼとか。
 記憶はふとしたきっかけでよみがえります。振り向くたびに記憶は増えていく。きりもなくどんどん。でも今過ごしているこの時間が、数年後思い出されるのかというと自信はありません。意識したことはなかったけれど、やっぱり10代というのは何がなくてもキラキラしているし、一番感受性の高い時期だったのだろうと思います。
 アサリのお味噌汁はおいしくいただきました。そういうふうにしか生きられないとわかっているから。食べながら、あのとき完全に貝になっていたらどうなっていただろうと思いました。固く閉ざしていたら。少なくても、オーボエには出会えなかっただろうな。でもどちらにしても今のような生活をしているだろうと思います。そんなときがあって、今がある。