昔、祖母がしてくれた話

 午前中はおばあちゃんに会いに行きました。夏以来なので「誰?」といわれちゃいましたが、「さちこだよ」といったら「随分久しぶりね」とわかってくれました。近いのだから行こうと思えばいつでも行けるのですが、土日もよく遊んでるばば不幸者なので、ご無沙汰してしまったな・・・。
 家族の顔を忘れるほどではないにしろ、いろんなことを忘れてしまったおばあちゃん。今ではもう話すこともなくなった空襲の話。恐らく思い出すこともなくなったでしょう。でも物心ついた頃から何度も聞かされたその話を、私はずっと忘れないだろうと思います。
 繰り返し話してくれたのは「入らなかったから生き延びた防空壕」の話です。父は戦後生まれですが、伯母は戦前生まれで、祖母は伯母をおぶって戦火の東京を逃げ回っていました。ある日空襲警報が鳴って、防空壕に入ろうとしたら、そこは既にいっぱい。でも子どもをおぶっているからといって中の人たちはつめてくれ、「入りなさい」といってくれたそうですが、祖母は申し訳ないから他を探しますといって辞退しました。しばらく行ったところで背後に焼夷弾が落ち、振り返るとその防空壕に直撃していたそうです。
 祖母はいつもいいました。必死で逃げたからわからないけど、恐らく中の人は助からなかっただろうと。あのとき中にいた人の好意に甘えていたら、今ここにはいなかったと。お父さんはもちろん、私も妹も生まれてはこなかったと。
 そして花火大会のときにも必ず戦争の話をしました。昔はあのひゅるひゅる・・・という音がすると逃げたと。あの音は焼夷弾が落ちてくる音だったと。祖母は原子爆弾のことを原爆とはいいませんでした。当時と同じようにいつもピカドンといっていた。
 祖母が歳を取り、花火を見てその話をしなくなってからも、花火を見るといつも思い出します。だから花火がとても好きです。花火を見ると少なくともそこは平和なんだと思えるから。ひゅるひゅるという音がしても誰かが死ぬことは無く、夜空に綺麗な花が咲いて人が喜ぶ一瞬がくるから。でも微かにせつない気持ちになります。
 幼いときは戦争の話を聞くのがイヤでした。空から爆弾が落ちてくることも、辺り一帯が火の海になることも、たくさんの人が何もできずに死んでいくことも、食べるものも飲むものもない毎日も、全然想像できないのに怖かったから。Aの嵐!で卵の殻はマズイといっていましたが、祖母は卵が手に入ったら中身は伯母にあげ、自分は殻を食べていたそうです。
 夏は戦争のことをよく考えます。花火大会があって、広島と長崎の原爆記念日があって、終戦記念日があって、祖母が決まって戦争の話をした夏。今年は夏からずっと考えています。幼いときはただ祖母の話が怖かった。でも今はもっと怖いと思います。人の好意を受け入れることが死につながるような世の中を、誰かが望んだりするんだろうか?