特別なもの

 お正月いかがお過ごしですか。私はドームに行った以外はのんびりまったりしています*1*2体調は全快といっていいだろうという状態になりました。今までと比べると小食である以外、どこもおかしいところはありません。が、昨日体重計に乗ったら、ここ数年見たことのない数字になってて(少ないって方で)びっくりしました。だって昼抜きで練習した後だって、あんな数字にならないんだもん(笑)。
 元旦のKinKiコンもとても楽しかったです。やっぱりKinKiコンは最高ですね〜。ソロコンも本当に素晴らしくて楽しくて最高でしたし、嵐コンも楽しくていうことなしなんですが、私にとってKinKi Kidsという人たちも音楽も、特別な存在だと思い知りました。高校時代のちょっとヤバイ自分を救ってくれたことも含め、たぶんそれはずっと変わらないと思います。
 ジャンルや規模やレベルが違えど、私自身が音楽をやって舞台に乗る上で、KinKiから受ける影響っていうのも、すごく大きいです(本番は絶対KinKiの曲を聴きながら向かう)。それは年々デカく濃くなっていく。私のは趣味ですし、いつ出来なくなるかわからないし、そこに何か*3があるわけじゃないんですが、ふたりの歌を聴いていて反省することは山ほどあります。
 久々にレポというか感想を書こうかな〜と思って、メモ帳を開いてぽちぽちと打ち込んでるんですが、これまたひどく進みが遅い上、いつものごとくあまり覚えてないことにびっくりするんですけど(笑)。私がコンレポをちゃんと書いたのって、本当に初めの頃だけでしたね。放置してるサイトを見て、最近のは感想のみだったり、行った分全て書けていなかったり、MCが一部だったり、ヒドイものだということに改めてびっくりしました。
 ここ2年くらい、KinKiコンは感想すら書いてないですねー。それはモチロン愛情云々ではなく、記憶力の問題と、話が飛びすぎてMCが覚えられないのと、楽しくてしばらく魂抜けてるっていうのと、終わってすぐオケの合宿があり、演奏会までひた走らないといけないからなんですが。今回のもupするかわかりませんが、もし書けたらこっそり更新しておきます(去年のソロもどーしよーかと思ってますが)。
 以下は元旦ラストについて思ったこと(珍しく辛口かも)と、大晦日私が泣いた曲についてと(正月早々暗めです)が、自分のために書いてありますので、隠しておきます。

 大晦日は本当に、最高に、楽しいコンサートでした。元旦、朝から異常にテンション高かったもん(笑)。スポーツ紙を買いに行っちゃうくらいに。元旦も同じように、本当に素晴らしいコンサートでした。でもこれまでのように「最高!楽しかった!」というハイテンションでは帰れなくて。素晴らしいコンサートだっただけに、それがとても残念でした。
 Wアンコールへの歓声で、始め何といっているのか聞き取れなかったので、事情がさっぱりわかっていないんですが。原因が何(誰)であれ、5万何千の客ほとんどが関係ないんだよね?とか、あれは少なくとも光ちゃんに対してナシだよな?とか、そんなことを思いましたが。でもそれは社会人としての努めて冷静な感情で、KinKiファンとしてはいろんな意味で心配してしまいました。だって好きな人の苦しむ姿なんて、誰も見たくないじゃないですか。
 14歳のとき、ある出来事から優しさはときに人を傷つけると思ったんですが、それと同じように、純粋さはときに人を傷つけるってことなんだろうなと思いました。優しい人は傷つきやすいだろうし、純粋な人も傷つきやすいんだろうと思うから(自分はどっちにも当てはまらないから断言しないけど)、逆もあると思う。当然といえば当然のことですが。
 私も社会人6年目後半ですが、3年目くらいから、大人として生きるバランスって難しいよなーって思うようになりました。初めはとにかく仕事覚えるのでいっぱいいっぱいで、お客様本位でありながら利潤を上げるという、いわば矛盾したことをしてるんだということに気づけなかったから。ただ生きるということだけであれば、それは学生時代から気づいていたんだけれども。
 生きることも仕事する事も、矛盾なしには出来ない。じゃぁどこを自分の妥協点とするか。見つけられたらラッキー。でもみんなそれぞれ妥協点が違うから、妥協点を作ることによって、また矛盾なり摩擦が生まれる。そこでもまた妥協点を探して。やっぱり見つかったらラッキー。そんなことの繰り返しで。
 人は何かの犠牲の元にしか生きられないんだから、それが嫌だったら餓死するしかないんだから、割り切らなくちゃいけないのはわかってるんだけど。自分を制御することによって、自分は子どもの頃なりたくないと思っていた大人になってるのかなぁという疑問とか、自分の気持ちばかり正直に考えて、いつまで大人になりきれないんだろという反省とか。どこで折り合いつけていいかわかんなくなって、なんて自分は醜いんだろうってよく思いますけど。
 たぶん誰もがそうやって生きているんだろうと思います。私みたいにこうやって文章にして、人前にさらしてるのは恥ずかしいことなのかもしれない。私だけじゃないんだから。・・・私の場合は書くことによって妥協点というか折り合いつけようと思ってるので、これからも書き続けますが(すみません)。
 結局自分のことになってきちゃった(苦笑)。ただ、汚いことにも、大人の事情にも、100%悪意だけではないと、そう思うしかないし、実際そうなんだろうし、もうちょっと楽に生きてもバチは当たらないだろうになぁと思ったのでした。それが「らしさ」なのであれば他人の私がどうこう思うものじゃないけど・・・。
 今年たくさんの愛がふたりに訪れるようにと願います。・・・訪れるようにじゃないよね、見つけられるようにですよね。この前行った会社の研修で、「チャンスは探している人のところにしか来ない」っていう話を聞いたのですが、恐らく愛もそうなんだろうと思います。
 ということで次の話題。
 大晦日、私が泣いた曲とは、お気づきの方も多いと思いますが、『雪白の月』です。イントロが流れた瞬間、「うわ、やばい、これは絶対泣く」と思ったんですが、その瞬間バーって涙がこぼれてきて、途中はタオルに顔をうずめてしゃくりあげてしまいました。これまでのKinKiコンでも剛くんでも光ちゃんでもしょっちゅう泣いてはいたんですが、しゃくりあげるほど泣くのは初めてでした。曲と歌声のみで泣いたわけじゃないですが。
 『雪白の月』は失恋ソングなので、傍から見たら失恋を思い出した人みたいになっちゃいますが、私が思い出していたのは亡くなった友だちのことでした。あのとき、この曲ばかり繰り返し繰り返し聴いていたから。去年のコンサートで聴いたときとても感動して、「いつかまた聴きたい」と思っていた曲が聴けて、嬉しくて胸に迫ったのと同時に、そのときの気持ちも迫ってきました。
 あのとき、1日でも2日でも泣いて暮らせるほど、本当に悲しくてやるせなくて、でも生きてる限りお腹もすくし、眠くなるし、普通に起きて電車乗って仕事して帰って、笑ったり怒ったり話したりしなくちゃいけなくて、泣きたいときに人前だからって我慢したり、制約ないと泣き止めなかったり、ぐちゃぐちゃになって。
 仕舞いには制御できないっていうか、自分で自分の感情がわからなくなって。仕事中泣きそうになって手が止まったり、電車で泣いて帰ったり、そのくせ部屋では泣けなかったり、眠れなくなったり、胸が痛くなったり(後から肋間神経痛では?と知る)。
 そんなとき、ふと『雪白の月』が頭の中に流れて、CD取り出して聴いてみたら、正直に泣きたいときは泣いてもいいんだよねって思えて、悲しいことを悲しいって思うことは悪くないと思って、悲しみとか生きてることとか友だちとの思い出とか、そういう感情と向き合うことが出来るようになったのでした。なんで『雪白の月』だったのかはよくわからないんだけど、だからこの歌詞で一番好きなところは、「予想外の結末でも 君といた日々は忘れないよ」です。
 歌声に感動する以外の感情も挟まって涙になるということは、もしかしたらKinKiに失礼なのかもしれませんが、たぶんこの歌を聴くたび、私は特別な気持ちを持って聴くと思います。そして噛み締めると思う。一緒にいた日々。変わらない「友だち」ということ。生きてるということ。本当に本当にKinKiには感謝しています。あ〜KinKiには助けられてばかりだなぁ・・・。

*1:ただ今日はちょっとびっくりすることがありました

*2:そして明日は横アリにおります

*3:三者への影響力はほぼゼロだから、辞めても誰も困らないし、悲しまないし、喜ばないし