それは手段でしかない

 横アリへ行ってから早くも1週間。その間すこぶる元気でした。足はいつまで経っても完治しないし*1、たまに鼻血も出ましたし、いつも以上に精神労働の日々でしたが、前向きに過ごしてました。昼休み、うっかりすると剛さんについて話しており、本当にKinKiファンになりたての頃に戻った気分です。あの頃も熱に冒された人のようにKinKiの話をしていて、周りに引かれていた気がする(苦笑)。今の友だちは耳を傾けてくれますが、気付くと申し訳ない気持ちになります。今も昔も身近にKinKiファンがいないのが残念。
 シングルもアルバムも毎日聴いてます。『Kurikaesu春』のPVはM-ON!で見ました。アルバムを聴いて『Silent love』はともかく、『H/A/P/P/Y』にびっくりした人は多いんじゃないかと思います(笑)。セルフライナーノーツを読むともっとね(笑)。でもアルバムの中で一番エロいのは『Love is the key』だと思います。とても官能的なサウンド。水槽2で聴いたときにはそんなこと思わなかったので、CDで聴いたときびっくりした。・・・すみません、私の感覚変ですかね?
 30日はいつもの3倍くらいアクセスがあったのですが、いつからか昔のようなCDの感想やらライブレポを書けなくなり・・・期待してこられた方すみません。それでも拍手とか☆*2を頂いて、ありがとうございました。アルバムのタイトルは公式HPで見たのだけど、シングルのカップリングには頭がいかなくて、セットリストは「?」が多かったですね。CDを聴いて、「これやってこれやってない」というのはわかったんですが、もう順番を忘れてしまいました・・・。こんなふうに記憶力がないから、レポは無理なのです(苦笑)。
 で、横アリに行って思ったことです。感想というより思ったこと(笑)。だから(いつもながら)剛さんの話というより私の話です。ネタバレもありなので、隠しておきます。
 楽器をやっているとか、オケ部に入っているというと、それだけで「すごいね」といわれることがあります。中学時代は私もそんな感じでした。ピアノをやってる人はいっぱいいたけど、フルートを吹ける人*3はそういなくて。あの頃の私は今以上に何もできなくて、コンプレックスでいっぱいでした。だから、人と違う楽器をやっているということが一種の矛みたいなものだったと思います。テープとか残ってないんだけど、あの頃の音は結構攻撃的なんじゃないかと思う。
 高校で始めたオーボエは、心を大きく揺さぶるものでありながら、精神安定剤でした。好きだとも楽しいともいえなかったし、苦しいことやつらいことの方が多かったのに、離れることはできなかった。苦しいことやつらいことから逃げてばかりだったのに、何故オーボエからは逃げなかったのか今でも不思議だけど、逃げてたらきっと学校からも逃げてただろうと思います。現役で吹いてた2年間、それは私の盾だった。引退するときにはフルートに戻ることより、オーボエを選んだわけですが、大学時代も社会人になってからも、音楽は精神安定剤の意味合いが大きかった気がします。
 先日ボランティアへ行った先で納得のいく演奏ができず、落ち込んだときに思いました。「音楽は手段でしかないんだなー」って。誰かと競う矛でもないし、自分を守る盾でもない。ただこういうふうに吹きたいとか、こういう音を出したいという気持ちを映す、硝子のような鏡のようなものなんだなと。演奏できることがすごいのではなくて、音楽で人の心が動くからすごいんだよなぁって。随分と今更な気付きですが、それくらい悔しかったんですよね、あのとき。
 ライブへ行って、CDを聴いて、剛さんの中で「音楽」の存在が変わっているんだろうなぁと思いました。ロッソの頃は海中でつかむ藁なのかなーって思っていました。歌うことでやっと海面に顔を出して、息を吸えるのかなって。siの頃はだいぶ落ち着いて、周りを見て泳げるようになったのかなぁなんて思ったけど、苦しい戦いだったことには変わりがなかったみたいで。後で、事務所とは関係のないバンドメンバーという水の城壁があったから、あの場に立ててたのかもしれないなと思いました。「KinKi Kids」とか「堂 本 剛」とか「ジャ ニ ーズ」とか「アイ ドル」とか・・・そういうものを直接は連想させないENDLICHERI☆ENDLICHERIになったときは、ちょっと自由になったように見えました。どちらも剛さんであることに変わりはないのだけど、「これはE☆E」といえることは、わざわざ海面に顔を出さなくても、息が吸えるということなのかなって。エンドリケリーってお魚だしね。
 私はファンクというジャンルの音楽を、剛さんがいなければ聴かずに死んでいただろうと思います。生まれる前からクラシカルな音楽を聴いて育って、ゆったりしているというか和音を楽しむ音楽を好むし、感覚的に法則とか規則性で縛られていた方が心地よいのです(知識としてはないから感覚的・笑)。だからE☆Eの音楽は始めちょっととっつきにくかったし、2枚目のアルバムは正直「いいな」と思えるまで時間がかかりました。詞もちゃんと文字になってるのを読まないと、聞き取りづらかったしね。それでもCDを買い、会場まで足を運ぶのは、剛さんも音楽も好きだからで。実際剛さんがどう生きているかはわかりませんが、音楽を通して垣間見られるというのはとても楽しいものです。
 29日のライブに行って、244ENDLI-xが想像以上に剛さんで驚きました。水槽でも水槽2でも、E☆Eなんだっていうのを感じたのだけど、それをあまり感じませんでした。服もわりとシックだったし、話し方もKinKiコンとそれほど差がなく、MCでは客席の声を拾いまくり、一方的にメッセージを放つということも少なかった(30日は違う服で出てきたし、MCがバッサリなかったけど)。MC中に何度も「たかが1人の男」といっていたことや、E☆E堂本剛の世界観を融合して244ENDLI-xという説明(?)や、名前を変えて遊んでみようとしたときに、例え数字であっても自分の名前を入れたのは、そういうことなのかなーと思いました。どんな名前でどんな表情で何をやっても、剛さんは剛さんだと思うのだけど、それが諦めじゃなくて、受け入れられる形ですとんと自分の中に落ちてきたのかなって。
 曲も、今までの音楽とはだいぶ違うなぁと思いました。ヒップホップとかテクノとかジャンルの違いもあるのかもしれないけど、もしそうだとしても、それは「別にファンクにこだわることないじゃん」っていっているように感じて。ふと「音楽は手段でしかないんだなー」って思ったことを思い出していました。今回のライブでも10代の頃、音楽に救われたということはいっていたのだけど、ライブで歌われた曲はどれもそういう過去の悲壮感とか、音楽で自分を生かすっていう感じはなくて、今の剛さんがつまってる気がしました。今の剛さんが伝えたいこと、表現したいもの。
 今回のアルバムは私にもとても聴きやすくて、詞も独特の言葉遣いが減ってわかりやすかったです。愛で汚すとか愛の暴動っていうのは、剛さんらしいと思いましたけれども(笑)。あと、ラブソングが多いのも印象的でした。恋愛って1人じゃできないですもんね。自分と相手がいて成り立つ。それに無理してするものでもないし。だから「たかが1人の男で皆さんと向き合いたい」という言葉は、剛さんの言葉を借りれば「リアルに」響きました。
 ・・・だいぶ長くなったなぁ(笑)。自分のために書き残しておきたいことが全部書けたとは思わないけど、これ以上続けると眠れなくなっちゃいそうなのでここで止めます。ここまで書いたらパンフとか雑誌も読めそうですし。それに・・・疲れました(笑)。こういうことを書くのってすごく勇気がいるし、エネルギーを使います。本人がどう思っているか確かめようもないことをつらつら書いて人前にさらしているんだものね(笑)。潤くんが恋は勘違いっていったのがわかる気がする(土曜のブランチ見ました)。
 それではおやすみなさい。

*1:そもそも原因がわからないから・・・そういえば血液検査の結果聞いてないな・・・

*2:このユーザーIDにして初かな? 嬉しいです

*3:中学ではフルート吹いてました