室内楽コンサート

 滞りなく終わりました。私はオーボエ4、ファゴット2という6本のダブルリードアンサンブルで出演。1stとハモってみたり、4thと下吹きしてみたりという3rdを吹きました。フレーズごとにどちらと一緒なのか考えながら、常にメロディを意識するのは忙しくて、かなり難しかったです。テンポも速い曲なので、まず指がおぼつかなくて必死になってたから、余計に周りに気を配る余裕がなかったし。私以外のオーボエさんはみんな実力者なので、足手まといにはなってないと思うけど、積極的に表現出来たわけでもなく、ちょいちょい足をひっぱった気がします(笑)。でも室内楽はとても勉強になるし、いい経験をしました。父だけ聴きに来たのですが、みんなの音色がよくそろっていて、誰が何番を吹いているのかわからなかったといってくれました。プログラムに一言goodと書いてあったので(感想をメモっていたらしい・・・球場のスカウトマンかい。笑)、よかったのだと思います。
 一方で、メンバーの皆様にはごめんなさいの気持ちでいっぱいです。頑張ったとは思います。演奏会のときと同じく、使える時間はなるべく練習に使って、できる限り練習方法を工夫して、指が動くように・・・。でもやっぱり動かないところがいくつもあったし、基礎がないのを改めて実感したりしました。まだまだ発展途上なのである程度は仕方ないのだけど、今回はメンタルが邪魔をしていたと思います・・・。今までもメンタルが邪魔をしていたことはあったけど、本番は何とか乗り越えていたのです。でも今回は乗り越えていたかと聞かれると、「うん」とはいえない。それが申し訳ないなと思います。
 3月の演奏会の後、気持ちのうえで大きな変化があって、仕事頑張らなきゃ私の存在意義って?みたいな攻撃型モヤ期を過ごしているうちに、頑張りたいけどそんな能力ないじゃん・・・みたいな壁にぶち当たって。それでも頑張んなきゃ頑張んなきゃと焦って無理しようとして、できなくてまた焦って。すとーんといきなり落ちました。とにかく力が出ない。何をしていても落ち着かなくて、どうしようとか逃げたいとか思ってる。それは仕事内容が云々とか、上司が云々とかもあるけど、やっぱり原因は自分の中にあって、何かを失うとか心の欠陥とか、そういうものを一生懸命見ようとしたり、目を背けたくなったり、葛藤の中にあるからだと思います。前にも書いたけど、正直になり過ぎずある程度黙っていることが、周りのためなのか自分を庇っているのか、その境目は難しい。ギリギリのラインに来ても、逡巡してしまう。100%合っているものもなければ間違っているものもない。選択するのは自分なんだとわかっていても、やっぱり言えないことがたくさんあります。今もギリギリで迷ってる。
 プログラムの最後は昨年設立された合唱団と弦楽のコラボレーションで、モーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプスでした。この曲は6年前の演奏会でアンコールとして演奏したことがあり(オーボエは出番がないので、舞台上で聴いていただけですが)、その時から大好きな曲です。同時に涙なしには聴けない曲でもあります。その演奏会の7か月後、同期が病気で亡くなり、一時期「雪白の月」ばかり聴いていましたが、それと一緒にこのアヴェ・ヴェルム・コルプスも聴いていました。だからこの曲を聴くとどうしても泣いてしまう。第三部でプログラムアナウンスをする係りだったので、どうしよう・・・と思っていたのですが、案の定泣きまして(実はリハから泣いていた)。「以上を持ちまして〜」という終演アナウンスの初めが見事に裏返りました(苦笑)(しかも泣いたってバレてたらしい!)。その前にも読んだプログラムをすべて噛んだり、急遽先生から日本語訳を朗読してほしいといわれて(正直、新世界のアングレソロより緊張したよ!!)(先生には小学校の卒業式みたいだったといわれた・・・)(だから言ったのに)テンパったあげく、泣く司会者ってどーなのよ。(すみませんでした!!)
 今日の演奏は出来る限りのことはやったけど、それだけだった気がします。自分の気持ちはベストを尽くせるテンションまでコントロールできなかった。周りがうまかったからうまくいった。それが結果だなと。どんなに逃げても、真に逃げ切ることはできないと思います。人はきちんと終わりを見る。私はいつも終わりから目をそらして生きてきたけれど、今年の目標は守るつもりです。正直な気持ちを見て見ぬふりしない。なるべく素直に生きる。ギリギリで迷ってる自分が今は本当。まだ吹くのが苦しいときもあるけど、打ち上げで先生に演奏会のソロを聴いていて、この先絶対うまくなると思ったといってもらえたので(音程の悪いところとか、練習も2回の本番も同じだったので、練習の力が本番で出せるという意味で、強い子だと、絶対うまくなると思ったらしいです。笑)、地道に練習を重ねたいと思います。ちゃんと演奏で思いが伝えられるようになりたい。