新潟妻有

 1日に行った日帰り新潟旅行。大学時代のオケ仲間に誘われて*1大地の芸術祭」に行きました。芸術はわからないながらもふと思ったことがあって、それを書こうと思ったのだけど、うっかり忘れているうちに、印象というか衝動が薄れてきました(笑)。でもせっかく行ったので書いておきます。
 その日はとてもいいお天気で、新潟も十分に猛暑。大地の芸術祭という名だけあって、妻有中が展示場みたいな感じで、廃校や廃屋をまるごと使っていたり、野外にどーんと置かれていたりするんですね。とにかく広い妻有に点々と作品があるので、車でないと回れない。そこで要所を回るバスツアーに参加しました。8か所くらい回るツアーだったのかな。1か所30分から1時間くらいしか見学時間がなくて、ゆっくり見るどころか、その場の作品すべてを見ることもできず、とにかく忙しかった(笑)。めちゃくちゃ暑くて汗だくだくで、かと思えば通り雨が降って濡れたり、バスに乗ったり下りたり、階段を登ったり下りたり、坂を上ったり下ったりと、とにかくハード。日ごろのデスクワークと運動不足もたたって、一番暑かった14時頃の記憶はあまりありません・・・(笑)。
 音楽以外の芸術はわからないし、そこまで興味もないのだけど、それぞれに思うことはあったし、自分の好みも結構はっきりしているんだなと思いました。ですます調で書こうとするとうまく伝えられない気がするので、この先は口語になりますが(笑)、なんかね、日本っていいなー、好きだなーって思った(いきなり結論)(そしてざっくり)。日本で生まれ育って、他の国で暮らしたこともなければ韓国以外旅行したこともないので、比較しての感想ではないんですけど、行きたいと特別思わないのも、日本の景色だったり文化だったり感覚に不満もなくて、肌に合うと思えているからなのかなーと。生まれ育った国そのものや文化と合わない人もいて、飛び出す人もいるわけじゃないですか。治安とかの問題じゃなくても。でも私はそうじゃない。東武ワールドスクエアの楽しさを人に話したとき、「本物を見たいと思わないの?」と言われたけど、別に何十万も何時間もかけて見に行かなくてもいいなーと思ったんですよね。1/25でいいよ、むしろそれを作ろうと思った日本の方がおもしろいよ、みたいな(笑)。あれはあれでおもしろいんですよ、ホント。東武の回し者みたいだけど(笑)。
 一番心に残ったのは「最後の教室」かな。良かったー!ではなく、どちらかといえば不穏な印象なんですが(笑)。廃校を使った作品で、テーマとしては記憶なんだと思いますが、私には今後一切の変化や光も期待できない、ただ過去があるだけの閉ざされた、滅びた世界に見えました。体育館には一面藁がしかれていて、たくさんの裸電球がつるされていて、扇風機が回っている(暑さ対策かと思ったけど、作品の一部なんだよね・・・?笑)。廊下も裸電球がつるされていて、何も入っていない額が並んでて(歴代の校長先生とか入ってそうだけど、外国でもそういうのあるのかな?)、大きなモーターみたいなのが回っている。理科室では心音にあわせて電球が点滅してる。音楽室には壁一面に何も入っていない額があって(外国の学校にもモーツァルトやベートーベンが飾られてたりするのかな?)、奥にある棚には思い出の品々が置かれている。教室には積み重なった机と椅子に白い布がかぶせてあったり、ガラスケースの中に蛍光灯があってその周り一面を白い布が覆っていたり。リンク先の写真で見ると幻想的で美しくも見えますが、実際は真っ暗なのでめちゃくちゃ不気味でした。ガラスケースに蛍光灯は病院ぽい・・・っていうか、もはや棺桶にしか見えなかった(焦)。
 理科室の心音は結構大きな音で、階段や廊下にも聴こえてくるんだけど、すごく不気味でした。心音が不気味って、よく考えるとあり得ない気がするけど、足がすくむような怖さがあった。閉ざされた世界の中でする心音って何なんでしょうね。。。やっぱり過去というか、記憶なのかな。。。心音で赤いSingerを思い出す私はやっぱりオタだなと思ったけど(笑)、別にあれを聴いても不気味とは思わなかった(心地よくもないけど)(剛さんごめん)。それはあの歌が生や愛を歌っているからなのかなと思いました。人は孤独だと思うけど、生きている限り光もあるし変化もあるわけで、自分から閉じない限り世界は開かれている。・・・と書けるのも、日本が平和だからなのですが。
 作者のクリスチャン・ボルタンスキーさんは有名なアーティストで、「生と死」「記憶」をテーマにされている方みたいです。この芸術祭でも「人の不在」をテーマに作られているみたいなんですが、「最後の教室」は記憶というより、進化を止めた、滅びたものに感じられました。同じ言葉でも、違う場所で生まれ育つと、言葉の意味も受ける側の感覚も全然違うんだなと思った。この方はユダヤ人で、お父様がナ チ スから身をひそめていたらしくて、その影響が色濃いとガイドさんはおっしゃってました。44年生まれってことはヒ ト ラーが自 殺してすぐくらいに生まれているわけで、差 別が残っていたからなのかどうかはわからないけど、登校拒否してほとんど学校教育は受けていないらしい。。。私にとっては遠い国の歴史的出来事のひとつというのが事実。その国の人、さらに実体験を持つ人とは、全然違うのだというのもわかる。
 私の感覚が一般的とはいわないけど、でも一般的に日本人にとって、記憶はノスタルジーにつながるものだと思うんです。懐かしさだったり温かさだったり、少しの淋しさとかせつなさとかを持っている。でも「最後の学校」の記憶は、物理的というか科学的というか、本当に時間的に記憶なんですよね。記憶にあるものは揺るぎない過去であり、元には戻らない、いわば失われたものというか。時間軸の一点を切り取ったものだから、時間が存在してなくて、だから進むこともない。心音がしているということは、滅んだり朽ちたりという意味はないんだと思うけど、私には失われた・滅んだものに見えました。過去とか記憶って、今の土台というか、今につながっているというイメージが強くて、決して失われたものでもないし、今と切り離されて考えるものでもないと思うんだけど、なんかそんな感じだった。でも不気味だけど悲壮感みたいなのはなくて、カラッとしているのも不思議でした。日本人はじめじめと感傷的な人種なのかもしれない・・・降水量も多ければ湿度も高いし。
 と、ここまでつらつら書きましたけど、見ていないとさっぱりわからないと思います(笑)(すみません)。見ていても、私の感想の方がさっぱり理解できんということもあると思うし。一般的に日本人はとか書いてしまったけど、印象は人それぞれですからね。。。私の日記なので、ふーんって感じで流していただければ幸いです・・・(笑)。
 企画としてはおもしろいし、前衛的っていうのかな? 私からすると「普通には生まれてこないよな〜」という発想に触れられて楽しかったし、行ったことに後悔はなくて、行ってよかったと思っているけど、良さとか表現したいこととかは「よくわからないなー」って思うことの方が多かったです。私が古風で、普通だからっていうのもあるだろうけど。新潟の大地に合った作品もあったけど、個人的には「何にも置いていない、ただの自然の方がいいよな・・・」と思うこともあったし(笑)(大きな声ではいえない)。説明されると「なるほどねー、発想だなー」と思うことはあっても、それがすごくいいかというと「うーん」みたいな。。。
 でも音楽も上手とか綺麗とかそろっているとかであれば、心地良くって価値があって心に響くかというとそうでもなくて、下手なんだけどものすごく心に響いて感動することもあるし、たぶんうまいんだろうけど何も伝わらないなってこともある。相手に何かを思わせる、それが疑問だったり不快感だったりしても、普段ない感情を芽生えさせるというのが目的であるとしたら、すごくいい体験をしたなって思います。今まで美術館に行っても、そこまで心が動いたり、何か思ったことはないので(笑)。こんなふうに感想を書いたこともたぶんないし。
 もしまた行くことがあったら、作品のことをちょっと知ってから行きたいなと思います。小説を読んでいてもそうだけど、バックボーンを知っているとそうでないとでは、全然感じ方もおもしろさも違うので・・・(音楽は何となく聴いているんだけどね。笑)。
 今日は母が生まれた日*2でした。ナスの天ぷらが好きなので、夕ごはんには天ぷらを揚げました。・・・天ぷら粉だけど。そして妹ちゃんが分量を見てくれたけど(焦)。あとはゴーヤとささみの梅和え(太一くんレシピ)、大根と豚バラの煮物(うちにあるカレンダーに書かれているレシピ)、茗荷入り卵焼き(タネを作ったのは私だけど、焼いたのは妹ちゃん)。最近写真は撮ってないけど、土日はごはん作りしています。練習やレッスンがあるとできないけど、いるときは頑張ってる(笑)。この歳になっても、とても母のようにはなれない私ですが、なんとか親孝行するので長生きしてください。

*1:彼女はクラ吹きなのですが、絵を描いたりと美術も得意

*2:実際に生まれたのは26日で、今日は戸籍上の誕生日ですが。昔は結構そういうことがあったらしい