今年のSHOCK

 最初で最後の観劇。昨夜1000回公演に剛さんが祝福に訪れたと知って、久しぶりに気持ちが高まり、そのまま帝劇へ向かったら更に上がって、「パンフレットとドキュメント2だけでいいかな・・・」と思っていたグッズをいろいろ買ってしまいました。日用品だけど、ボールペンもシャーペンも使えないのにね(笑)。でもチケットホルダーにはSHOCKのチケットを入れてみました。私は2003年から行き始め、2007年以外は毎年見ているらしい*1。。。そしてなぜクマ?と思ったけど、「記念だしね!」とAちゃんと二人でクマまで買ってきました(笑)。そこでテゴマスがゲストの兄弟で、光一さんが剛さんの「ベア〜(←クマの鳴き声)」に爆笑していたことを思い出して、自分どんだけと思った。
 基本のストーリーは変わっていないけれど、キャストや曲や演出はかなり変わったなぁという印象の今回のSHOCKはとても良かったなと思います。近年モヤモヤと思っていたところもすっきりしたり(笑)、今まで何となくしっくりこないなぁとかわかりにくいなぁと思っていたところもわかりやすくなっていて、この舞台を通して光一さんが言いたいことがより伝わりやすくなっている気がします。光一さんが言うように、オーナーが女性になったのも大きいんだろうな。って、パンフレットを読んで思ったけど、光一さんってずっと華やかな世界で仕事をしているのに、持っている感覚はフツーの会社員っぽいなぁって思いました。
 実は去年、SHOCKを見て思ったことなどをつらつらと書いていたのですが、結局下書きに入れっぱなしにしていました。なぜ今日の感想じゃないんだと自分でも突っ込みたいですが、ここでUPしないとお蔵入りしそうなので強行します(笑)。あまり推敲しないで思うままにつぶやいたものですが、手を入れずにそのままUP。なのでたたみますー。
 Endlessになって何年目のSHOCKかな。こーちゃんは毎年歳を重ね、MAは長年の信頼感、うえくささんもうちくんも3年目だし、リカちゃんも妙に落ち着いてて大人だし、ストーリーは同じでも平均年齢がぐんと上がったSHOCKになった気がしました。博多で見たとき唐突に、「もうコウイチは死ななくてもいいんじゃないかな」と思った。「死」という、人間にとっても最もインパクトのあるキーを使わなくても、Endless SHOCKが伝えたいことは伝えられるんじゃないだろうかって。それくらいこーちゃんも大人になったし、説得力のある人になっているはずだ、と。
 こーちゃんは既に20年近く働いているわけですが、SHOCKを始めた頃は20代で、それ相応に若かったはず(いや、今も若いのだけど)。私が初めてSHOCKを見たとき、コウイチはスーパーマンに思えた。若くしてカンパニーを背負っていて、みんながついていく人だから、確かに才能あふれててカリスマ性がなければ無理だよねと思った。こーちゃんが20代後半になってくると、コウイチも結構人間くさいなーと思うようになった。頭にかーっと血が上ってみたり、セリフの一部を別の人が言うようになったことで、コウイチにも発展途上の青年の部分が見え隠れするようになった。
 あとは、前はもっともっとコウイチが舞台に出ずっぱりだった気がするけど、この頃から後輩さんたちの見せ場も多くなったように感じた。自分が頑張るだけではダメで、ときには自分は見ているだけ、人の力を引出し伸ばしてこそ先輩になれる。会社もそんな感じだけど、こーちゃんも同じようなことを考えてるのかなぁなんて思った。こーちゃんは会社勤めをしたことがないはずなのに、ときどき会社員なのかなって思う発言をする。
 人が死ぬ話は嫌いだけど、Endless SHOCKになって、コウイチが死んでしまっても、悲しいけど嫌だなとは思わなかった。コウイチには命を懸けてもやりたいこと・守りたいこと・伝えたいことがあったのだろうし、危険だからといって逃げないコウイチは、こーちゃんなりの美学なのだろうと思った。前にも書いたことがあるけど、私はなんとなくEndless SHOCKって、F1やセナ氏の死がセットで思い出されるんですよね。コウイチが命を懸けても守りたかったことや伝えたかったこと。それを表現するのに、本当にコウイチが死んでしまっても、こーちゃんがストーリーに携わったなら不思議じゃないなと思ってきた。何度か書いているけど、昔のこーちゃんは「今ここで死んでも構わない」くらいの覚悟というか意気込みというか真剣さで仕事している気がして、尊敬する反面、その本気が怖くもあり、悲しくもあったから。剛さんが隣にいればそこまでは感じないんだけど、ソロの仕事はいつもどきどきして見てた。
 でも最近はあまりそういう感じを受けない。ソロコンでもKinKiコンでも、こーちゃんは本当に楽しそうだった。歌うことが踊ることが、楽しくて仕方ない感じだった。そしてそれがずっと続けばいいと思っている感じがした。(以前コン終わりに「名残惜しい」と言ったことがあったけど、私はすごくびっくりしたんだよね。。。)1回1回をがむしゃらにではなく、何回先何十回先、何年先何十年先を見て、続けていくことを考えるようになった気がする。それはやっぱり年齢を重ねてからこそなのかな、と思ったりします。がむしゃらにやるときは自分のことが主。でも先を見るようになったら、自分のことより周りや後の人、そして組織的なことが主じゃないとできない。
 自分が守ってあげなければ生きていけない存在もいるし(パンちゃんとか・・・まぁ剛さんとか?)、「生きて帰れ」っていうSHOCKのセリフじゃないけど、究極のSHOW MUST GO ONは生き続けることのように思う。寿命は誰も知らない。でもいつか訪れるその日まで、精一杯生き続けること。こーちゃんと一緒にコウイチもだんだんと年齢を重ねて、経験を重ねてて、命をかけなくたって誰かに何かを教えられるし、自分で成長できるようになってるんじゃないのかなーって思う。今のコウイチは子どもっぽいところや発展途上なところがたくさんあって、あの事故を通して成長したのに、コウイチだけはそこで時が止まってしまうんですよね。
 最後に「俺たちの夢、みんなの夢はこれからなんだ」というけど、他の人は走り続けられるのにコウイチだけではそこで終わってしまう。でも一緒にまた走り続けてもいいんじゃないかなーって、そんなことを思いました。Endless SHOCKも回数を重ねて、大胆なストーリー変更はもうできないのかもしれない。でもこーちゃんがいつかコウイチが死なないSHOCKを、さらにコウイチが成長していく可能性を秘めた話を書いてくれたらいいなーなんて思います。
 去年書いた感想はここまで。今年のSHOCKはコウイチの人間くさくて発展途上なところが、とてもわかりやすくなったなって思いました。才能あふれるコウイチだけど、未熟なところもいっぱいあって、だからあの事故が起きてしまった。でもあの事故があったからみんなが成長できたし、コウイチも自分の未熟なところがわかったし、それを乗り越えてまたひとつになれた・・・というようなことが、よくわかるようになった気がします。だから今年も同じように、コウイチは死ななくてもいいんじゃないかなーって思いました。主人公はコウイチだけど、コウイチによってカンパニーのみんなが成長していく話だったのか・・・とも思ったんだけど、でもあそこでコウイチの時間だけが止まってしまうのはやっぱり惜しくて、仲間と共にオンの先を探していくコウイチを思わせる終わりだったら素敵だなって思う。・・・後日また書くやもしれませんが、今日のところはここまで。

*1:2007年は申し込まなかったんだよね