一緒に過ごした日々は忘れないよ

 何の予告もなしに突然もぐってしまってごめんなさい。光一さんのソロアルバムが発売し*1、ソロツアーが始まり*2、キャプテンの舞台が決まったり、嵐が結成7周年を迎えたり、台湾に上陸してたりするのに、不思議に思われてたかもしれませんが。更新しない間も拍手をくれた皆様、ありがとうございます。事情を知って励ましのメールをくれた友だち、どうもありがとう。元気にやってます。

 先週の日曜日、4月まで同じ部署で働いていた友だちが亡くなりました。入社当初から一緒に働き、お休みには遊んだり会社帰りにごはんを食べたりした、大切な友だち。もちろん、友だちが亡くなるなんて初めてのことで。日記を書いても出てくるのは友だちと過ごした日々のことばかりでした。

 他部署へ異動になり、その後で闘病生活に入ったことは知っていました。本人はもちろん治す気だったし、通院での治療だったし、今すぐ命がどうのとも聞かされていなかったので、悲報は本当に突然のことで、電話で聞いたときは言葉も出ませんでした。明らかに日本語なのに何をいっているのか理解できなくて、返事をすることもできなければ、涙さえ出なかった。

 お通夜や告別式に参列したのに、まだ信じられません。5年毎日のように会っていたのが異動して会わなくなってしまったせいか、その延長で今も異動先で働いているような気がしてなりません。耳元では彼女の静かな笑い声が聞こえるし、私を呼ぶ声も聞こえてきます。彼女の職場へ行ったら、手を振って近づきながら、「来てたのー」っていってくれそうな気がします。

 今年に入ってからずっと、失うこととか死とか争いとか、そんなことを考えている気がします。逃げ続ける自分をやめる勇気。不毛で暴力的な一方通行の想いから離れる覚悟。自分も両親もすこしずつ歳を取っていっているという事実。『百夜の女騎士』を見て学生運動について考えたり、『硫黄島からの手紙』の予告を見て戦争について考えたり。そこへいきなり突きつけられた、リアルな親友の死。

 何をしていてもふと浮かんでくるのは彼女のことばかりでした。私とは似ても似つかないほど純粋で真っ白だった彼女と、意外にもプライベートな思い出が多いことにびっくりします。2年目には一緒に長崎へ旅行した。有休を合わせてサマーランドで泳いだことも、ディズニーランドへ行ったこともあった。年度末の繁忙期、夜遅くなってふたりでラーメン食べて帰ったこともあったし、夏にはスムージーも飲んだね。去年の冬にはラクーアに行って、マッサージやネイルアートをしてもらった。今度は岩盤浴へ行ってみようといっていたのに、もうその日は永遠に来ない。

 平等について考える・・・というエントリーをした前々日、私は彼女から病気のことを知らされました。体調が悪いといって同期会に来なかった彼女に、軽い気持ちで「具合どうよ?」と聞いたメールの返信が病気の告白だったんです。しばらく身体に力が入らなくて。私が夏の初めに体調を崩したのは、まさに彼女の告白があまりにもショックだったからでした。

 今でも平等についてよく考えます。彼女が病気になって、今、28歳の若さでこの世を去る必要なんてどこにもない。つらい治療をしているにもかかわらず、新人チームが終わったときには「お疲れ様」とメールをくれた思いやりのある彼女。失うべき想いを失ったとき、「全部終わったよ」と報告したら、きっとこれから素敵な人が現れるよといってくれた優しい友だち。元気に働いて、ずっと一緒にいた彼とそのうち結婚して、幸せになってはいけない理由がどこにあったというんだろう。

 不思議なことに、友だちが亡くなっても私の生活は変わりません。この1週間毎日起きて、会社に行って、仕事をして。たくさん笑ったし、冗談だっていうし、怒ったりもした。ちゃんとお腹だって空くし、眠くもなる。毎週見ているテレビは同じように見ているし、音楽も聴くし、昨日はオケの練習にも行きました。チケットが届けば舞台にもコンサートにも行くし、これからもきっと行き続けるでしょう。

 小さい頃は死が怖かった。誰も知らない場所。行ったら帰れない場所。でも近い人が亡くなるたび、死は身近なものになっていきます。それは遠く、先にある怖いものではなく、常に隣にある親しいものとして。いつか行く場所。誰もが最後にたどり着く場所。彼女は同期の中で一番先にそこへ行って、永遠を手に入れてしまった。彼女が好きだったレミオロメンの『粉雪』。もう粉雪を見ても、脆さを悲しむ必要もない。

 生きていることと亡くなってしまったこと。それが決定的な差なのだと思います。大切な人を失っても、生きている限りは食べたり眠ったり、笑ったり怒ったり泣いたりしなくてはいけない。どんなに残酷だと感じてしまっても。でもそうすることでずっと死者は存在し続けられるのだとも思います。生きている人の心に、すぐ隣に。きっと彼女も、彼女を知るすべての人の隣にいるんだと思う。今、私の横にも確実に。

 亡くなったと聞いてからも文章自体は毎日書いていました。何があっても、私は書くことを止められない。書いたものに価値なんてなくても、書くことが私にとって生きている実感であり、生きてきた足跡だから。もし書くことを止めてしまったら、あの日、あの人に教えてもらった私の人生もなかったことになってしまう。強制ではなく、自発的に日記を書き始めたときから私の、私らしい人生が始まったから。

 友だちも異動後はときどきこの日記を見て、今までいた部署がどんな状況か、私たちが何をやっているか、知ってくれていたから。きっと天国でも読んでくれるよね。結局異動するまで嵐5人の区別がつかないっていっていたけど、そのへんは読み飛ばしていいからさ。だからこれからもずっと、日記は書き続けます。

 彼女がこの世にいた28年のうち5年半の間、一緒にいられたことを幸せに思います。生きている限り、ずっと忘れない。いくら泣いても涙が枯れないのが不思議だけど、残されることより先に逝かなくてはならない方がつらいはずだから、あまりめそめそしないようにする。いつか再会するとき恥ずかしくないように、たくさん笑って、一生懸命生きたいと思います。

 彼女の死が、彼女を知る人にとって、夜空に浮かぶ月のようでありますように。まだまだ暗闇を進まなくてはいけない私たちを、月明かりのように照らして迎えてくれますように。最近の私は『雪白の月』ばかり聴いています。

*1:昨日取りに行ってきました

*2:福岡公演・・・なんだか翔ちゃんソロのメールとかも思い出したりして、やるせないです